タイトル通りの人生を送りてえだけの人。
というわけではじめまして、シロです。
ここ最近、色々な人のVLOGを眺めるのが日課。
私もこんな生活を送りたい・・・!と参考にさせていただいている方々は
世間では「丁寧な暮らし」をしている人というらしい。
コロナ禍以降、「丁寧な暮らし」というワードをよく耳にするようになったなと感じ、
そもそも丁寧な暮らしって何?と思い、調べてみました。
丁寧な暮らしとは
丁寧な暮らしとは「物事に手間や時間をかけることを惜しまず、疎かにしないこと」
ふむふむ、なるほど。でも私が目指したい!と思った方のVLOGは
効率的に物事を進め、”ゆとりのある時間を作っている”感じなんだよなあ。
物事において時間や手間をかけること=丁寧な暮らしに直結するならば、
丁寧な暮らしを目指すというのはちょっと違う・・・?
引き続き調べていると、下記データを発見。
UCC上島珈琲株式会社様が実施した一都三県の20~50代の男女を対象とする
「丁寧な暮らしに関する調査」によると「手間や時間をかけること自体」に充実感や達成感、
幸せを感じているのは53.1%、
「こだわった生活」に充実感や達成感、幸せを感じているのは46.9%過程である手間そのものよりも、結果として得られる気持ちの良い生活に価値を
感じている人も約半数存在することが明らかになりました。出典元『UCCドリップポッド調べ』
・・・あれ、私どっちでもなくない????
確かに手間や時間をかけること自体に幸福を感じるのもわかる、
こだわるというステータスが心地いいというのもわかる、
でも私は効率的に物事を進め、ゆとりのある時間が欲しい。
(はて、私の目指すべきカタチとは・・・)
その時間ができてこそ、丁寧な暮らしにつながるわけよ、とシロは思っている。
そして丁寧な暮らしは一度は誰しも挑戦したりするもので、結果
「丁寧な暮らし」で得られるメリットは感じているものの、丁寧に暮らすためにかかる手間やお金、時間などが次第に負担になり、「丁寧な暮らし疲れ」を感じていることが明らかになりました。
出典元『UCCドリップポッド調べ』
疲れてしまうとのこと。それはあるよなあ。
「物事に手間や時間をかけることを惜しまず、疎かにしないこと」を丁寧な暮らしと
するなら、「こうしなければならない」って自然と自分をルールで縛ってしまう気がして
今の私には「丁寧な暮らし」という表現は合わないかもしれない。
真面目な人間ほど、「自分をルールで縛ってしまう癖」が
あると思うんですよね・・・
快適な暮らしとは
それなら快適な暮らしはどうだろう?
快適の基準は「自分」になるわけだからこの表現はぴったりかもしれない!と思いました。
自分が快適に過ごすために「何が必要で、何が不要か」を考えて
行動してみたら今何をするべきか見えてくるかもしれない。
私は、ふっと空を眺めてぼーっとしたり、ほっとお茶を飲みながら風を感じたり、
目を瞑りながら音楽を聴いて想いにふけたり、ねこと戯れたり
時間をゆっくりと感じていきたいんですよね。(おばあちゃん?)
それでもやることは毎日溢れるほどあるわけで、
そんな時間を1秒でも多く作れるような生活を造っていくためにどうするか
例えば家電に頼れるところは頼るとか、夕飯をルーティーンでメニュー決めておいて
悩む時間を減らしたりとか、(たまにテイクアウトしちゃったりとか外食したりとか)
そもそも物を減らすとか、お金をかけてもかけなくてもできることってきっといっぱい
あるんですよね。今の環境に慣れてしまってはダメだ〜〜〜。
昔勤めていた会社の社長に、よく「気づく人になれ」って
言われていたけれど、歳を重ねるたびに「気づける人」が
貴重なことがわかってきた。
心にゆとりを持つ
そもそも私が憧れる理想像は「心にゆとりがある」人なんですよね。
でも心にゆとりがある人ってお金も持っていて、時間もあって、常に成長している人って
イメージで私がそんな人になれるかなって。(もうこの時点でネガティブ)
心にゆとりがある人は、基本的に心配事が起きないほど準備もしっかりしているし
ポジティブかつ心が安定しているから、一緒にいても心地いいですよね。
そんな人にわたしはなりたい
最後に
このブログはそんな自分の成長LOGとしても使っていきたいと思っています。
急に「お前ポエミー????」みたいなこと呟くかもしれません。
それもありです、自分のブログですもん。
見返したとき、恥ずかしくなるんだろうなと思いつつ
学生の頃からブログはやっていたので(こんな本格的?なブログではないけれど)
日記は続かないけど発信していくを目的にやれば続くかもしれない。
・・・3日坊主代表が何かほざいてますね。あまり期待せずにゆるくやっていきます。
コメント